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【哲学】無力なのか?その2

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昨日の続きです。

20世紀のイタリアの教育思想家・実践家のマリア・モンテッソーリは

こんなことを言っていました。

 

「子だもたちに規律を与え、それに従わせて、思いのままに動かせる教師を多くの人は力のある教師だと思う傾向がある。そして、規律正しい子どもたちをできる子どもたちだと思う傾向がある。でもそれは錯覚なのだ。一見規律正しく見える子どもたちは、実はただ大人の言う通りに動くように躾けられているだけで、本当のところは無力にされてしまっているだけである。」

 

自分に関していうのであれば僕はいったりきたりしている気がします。

移動教室(教室から理科や音楽)の時は自分自身が待てなくてすぐ言ってしまう。

「みんな待ってますよ~」

「整列ってふらふらすることじゃなくない?」

「それって並んでますかね?」

指示というよりも嫌味ですね。

なかなか待てないです(笑)

 

あとは、この2日間市の学力テストがありました。

朝の会を8:20から始めています。

黒板に「8:20 朝の会」と書きます。 

この2日間は8:20になると私が何にも言わなくてもみんな席について

日直さんの号令を静かに待っているじゃないですか!

(そもそも日直が前にでるタイミングも担任が待ってないといけないのでは・・・

 恥ずかしい( *´艸`))

 

4月の学級はじめの(クリティカル・イレブンミニッツなんて

言われるけど)そんときはかなりバンバン自分を出していってしまうよね?

ルール作りというか

規律づくりというか

 

ふむふむ。

以上モンテッソーリでした。

 

引用参考文献:多賀一郎.苫野一徳.『問い続ける教師 教育の哲学✖教師の哲学』.